「あなたはすでに多くの論文を書いていますので、残念ながら採用することは出来ません」こんなことを言われて、世紀の大研究発表論文(と自分が思っている発表)を掲載してもらえなかったらどうだろう?
Nature Medicineの最新号のEditorialに「科学者が専門職についている間に20本しか論文を発表できないとしたらどうだろう?」という内容の記事が掲載されていた。
記事によると、科学論文出版に関して不満を抱いている科学者は多く、出版費用がかかりすぎるためにオープンアクセスを提唱する声もあるという。一方で、研究分野が多岐にわたることや、論文数が多すぎるために各専門分野ではそれぞれ専門誌を必要としていることが紹介されている。
そこで、ここにひとつの提案がなされたようだ。
研究職への着任に際して発表論分数を規定するチケット制をとって、研究者が発表できる論文数を制限しようという大胆な提案である。論文を発表するたびにチケットを使い、生涯論文数を制限することで、発表される論文は大作となり、それぞれの論文は価値が高いものになるだろうというのである。そして、専門誌の多くは自然消滅することとなり、研究者の評価は容易にできるようになることだろう。
▼【Nature Medicine 13, 1121 (2007)】
What would you do if you could publish only 20 papers throughout your career?
http://www.nature.com/nm/journal/v13/n10/full/nm1007-1121.html
さて、こうなってくると膨大な数の共著者が並ぶ共同研究の発表はどうなるのだろうか?今まで第一著者の座を奪い合うようにしていた共著者たちは、その論文が本当に貴重なチケットを使うに値するものかどうかを考え始めるだろう。
あるいは、もうすでに何報も論文を出していて、部下に研究をやらせては自分の名前で論文を出していた一部の教授連中は、もう論文発表を出来なくなるかもしれない。これは若手へのチャンスかもしれない(?)。
次々と価値ある論文を発表する研究者がいる一方、頑張っているのに成果がでないで論文を出せない者もいる。そんなときには、それとも新手のダフ屋が出てきて名前を貸してくれるようになるかもしれない(?)。
個人的には、新しい情報があまり含まれていないゴミ論文が減るのは大歓迎だが、生涯論文数を一律に制限するのは反対である。
研究者の評価によって生涯チケット数が変動するようなシステムはどうだろう?いや、やっぱり、研究発表のチャンスに制限を設けるのは賛成できない。
みなさんはいかが考えますか?