
ヤッターーーーーーーーーーーーーーーーー!
歓喜のあまり思わず腕を突き上げ、ガッツポーズをとる姿は、それが応援していた選手であれば見るものをも熱くさせるシーンである。
オリンピックシーズンのこの時期、よく見かけるガッツポーズだが、こうした非言語表現は誰かの真似からはじまったものなのだろうか?それとも・・・・・・
英国コロンビア大学のTracy JLらは、プライドを満たした自慢げな状態と不名誉もしくは残念がっている様子をよくあらわす状態を観察するのに最適な対象としてオリンピックの勝者・敗者に着目した。
研究者らは、2004年夏のアテネ五輪とパラリンピックの柔道で撮影された数千枚の写真を調べ、30カ国以上の選手140名が戦い終えた後にとったポーズを分析し、その結果を米国アカデミー紀要に報告した。
各選手の頭、腕、身体など姿勢を調べた結果、勝者は両手を上げて上を向き、胸を張る一方、敗者は肩を落として胸を狭める傾向が見て取れた。こうした観察結果は、文化的背景や視聴覚障害の有無にかかわらず見られたことから、研究者らは、ガッツポーズなどのボディーランゲージは、人間が生まれつき持っている癖であり、誰かの物まねではないようだと結論付けている。
▼PMID: 18695237
Proc Natl Acad Sci U S A. 2008 Aug 11. [Epub ahead of print]
The spontaneous expression of pride and shame: Evidence for biologically innate nonverbal displays.
感極まったときの行動に対して、物真似もなにもあったものじゃなかろうという気持ちもしないではないが、研究ご苦労様でしたといったところである。
さて、この話題を取り上げたのにはわけがある。
今、北京で行われているオリンピック柔道の試合を見ていて非常に情けなく思ったことがある。
男子柔道の成績が情けないのは言うまでもないが、金メダルをとった石井にしても「情けない」と感じることがあった。
武道は「礼にはじまり礼に終わる」というが、試合の勝負が決したあとの行動がよろしくない。
あとは礼をして試合の勝ち名乗りを受ければ終了という場面で、柔道着の乱れを直そうとするのはいいが、その行為をいつまでもモタモタとやっているのが情けない。試合に勝って喜び、ガッツポーズをとるのはよいとして、いつまでも喜び、肝心の礼がおろそかになっている選手のなんと多いことだろう。
女子柔道の70Kg超級で優勝した中国人選手などは、さらに情けない。
試合中に何回、柔道着の乱れを直せば気が済むのか、試合が途切れるたびに柔道着の乱れを直すのだが、その回数が多すぎる。乱れた呼吸を整えるためにわざと着衣をゆるくしておいているようにすら感じてしまった。
武道とスポーツは違うものかもしれないが、柔道がJudoに変わっても、スポーツマンシップの心は大切にして貰いたいものである。すでにJudoが武道ではなくなってしまったのかもしれないが、かつて武道であった以上は、その精神表現の一つである「礼」についても重要だと思う。