N Engl J Med 2003; 349 : 1123 – 32に人工呼吸の中止に関連する臨床的規定要因を検討した成績が報告された。
昨今の患者死亡問題で話題の慈恵医大青戸病院の一件は、医師の技量不足によることが明確であり、今後あってはならないことだと思う。一方、医師の技量は十分にあるが、何とも救いようのない状態で医師が難しい判断を迫られることもある。
集中治療室において人工呼吸を受けている危篤状態の患者の人工呼吸器を中止する決断を医師が迫られるのはどのような場合であろうか。
D. Cookらは、15 の集中治療室で人工呼吸を受けていた成人851例について検討した結果、危篤状態の患者に対する人工呼吸中止のもっとも強い規定要因は,年齢および疾患や臓器不全の重症度よりもむしろ,患者が生命維持装置の使用を希望していないという医師の認識,集中治療室での生存の可能性が低いという医師の予測,および認知機能が低下する可能性が高いという医師の予測,そして強心薬または昇圧薬の使用であったと報告した。
▼PMID: 13679526
N Engl J Med. 2003 Sep 18;349(12):1123-32.
Withdrawal of mechanical ventilation in anticipation of death in the intensive care unit.
”死の尊厳”、”死ぬ権利”等について時々新聞紙面をにぎあわせることがあるが、難しい問題をはらんでいると思う。上記調査結果によれば、人工呼吸器を取り外す明確な基準があるわけでなく、結局のところ医師の主観的判断により人工呼吸器の取り外しが決定されているとも言えるのではなかろうか?
医療の進歩により、なすすべもなく”死”を待つ状況から”死”を選択しなければいけない臨床医の苦悩が始まったのだろう。患者の家族にとっても同様のことが起こっていると思う。
”死なない”ための手段が用意されているのに、治療を打ち切る判断がはたして許されるのか?あるいは、心情的に出来るのか?上記論文からそんなことを考えた。